昭和五十六年七月十二日 朝の御理解
御理解第八十八節
昔から、親が鏡を持たして嫁入りをさせるのは、顔を切れにするばかりではない。心につらい悲しいと思う時、鏡を立て、悪い顔を人に見せぬようにして家を治めよということである。
家の中に信心によって、段々助かっていく人達でありますと、家庭の中に、悪い顔をしなければならないときでも、例えばお父さんの顔を見とったらお母さんとお話をしよったら、心が落ちついてと例えば、嫁御がいうくらいなお爺さんやらお婆さんやら、その家庭やらでありたいですね。例えば嫁御がなら、ほんなら一生懸命、まあ辛抱しておる、いうならば今日の御理解でいうと、悪い顔を見せちゃならんと思うてね、まあ顔で笑うて心で泣いてといったような状態がですね、ないようなおかげを頂けるような家庭でありたいと思うですね。こりゃもう一家あげての信心をさしてもらわなければでけませんことです。ね。
どんなにつらいとか苦しいことがあっても家のお母さんの話を頂きよったら、心が治まったとか、お父さんと一緒に御用さしてもらいよったら、心がはれるというくらいなね、信心を家庭のもので頂きたい。
私共が北京から帰ったまあいろいろ大変な難儀な時代でしたけれども、夜ともなると、御祈念が終わると家族の者が集まっていろいろそのよもやま話を致します。そすといつの間にか家内がいなくなるんです。自分だけ二階さえつうっと上がって行くわけなんですね。折角こういうなら家庭団らんと申しますかね、その中に入っていくくりあいのに、そういう話、あの頃始まりますといつの間にかすうっと家内はおらなくなってしまう。いうならなんというでしょうかね、非常にまあ恵まれない家庭で育っておりますから、私の方あたりのように、たとえ何とも、それこそあのまあいうなら大変難儀なときでありましたけれどもこう一緒におうたら、そりこそ大坪さん方にゃ笑い声が絶えないといわれるくらいに、まあいろいろこうまあ一家団欒の一時なんです。そうするといつの間にか家内はおらなくなる。私は初めは気がつかなかったけれども、段々その分かりましたから聞きましたから、とにかく家族中の人達がこう仲むつましゅう話よんなさると、それば見よって淋しゅうなるといいよりました。
そういう事もありますよね。あんまり仲がよう家族中であんなさるからね、それで自分がそこにおると何か淋しゅうなる。初めはそげんでした。私はその時分いろんな商売なんかを致しとりましたから、ちょいちょいまあ出張販売なんかで出かけておりました。ありゃどっか、長崎かどっか行ったときじゃあったと思いますけれども、まあ宿屋に泊まりましたら、朝あの生卵がでますよね、こうして、宿旅館では、ですから私はそれをあのう、頂かずに紙に包んで鞄の中に入れて持って帰った。そして朝御飯の支度をしておる家内に、あのうこれはおつゆかなんかにお爺ちゃんに入れてあげてくれと云うて、家内に渡しました。たら家内がその卵を持ってつーっと裏さえ行きましたもん。返事もせんなどうしたこつじゃろかと思いよったら、その裏の方で卵を持ちながら泣いておりました。そして後から家内から聞かせて頂いたのですけれども、今頃卵といったって、そう何じゃないですけれども、まあ昔の私の方の家庭としては、卵なんか頂くといったような事はございませんでした。ですから私が宿屋でお膳についた卵を持って帰って来ておったのを家内に、今朝のお爺ちゃんのおつゆの中に入れてやってくれというた。その卵を持って裏で泣いておった。何で泣いておるかというと、親じゃこんなにも大事にしなければならんもんだろうかと思うたら、胸がせまって返事もでけなかったということを聞きました事でした。
今日は私はもうね、それこそ嫁御がまあこうやって嫁御に対する事でしょうけれども、その家庭に入ってくる家庭が円満で辛い苦しいと思う事もあるけれども、いうならばお母さんとお話しよったら、家族の方達とお話ししよったらもう自分も心が楽になったというような家庭、けれどもいよいよ違った家庭からなら、私の方の家内のように、大坪家と鶴谷といいますけれど、鶴谷家というのは、もう全然本当に白と赤ほどに違った家庭から来とりますから、家庭中で円満に晩にいうなら、その団らんといったような雰囲気に入ったことがなかったから、かえってそれが淋しく感じた。
けれどもそういう中に段々おかげを頂いて行く中に、そういう様々な事を見たり聞いたり、今の卵の例じゃないですけれども、そういうことがいつもそこでも、ここでも感じられるような家庭、はあ、親ちゃこんなにも大事にならんもんだろうかと。
私は今朝方ある方のもう亡くなられたそこのお婆ちゃんのお夢ですけれども、夏のことですから、蚊帳を引いて休んでおられる。所がその蚊帳を片づけておられる所が蚊帳が破れておる。破れておるのでこう、そそくちゃないもんだから、そこをくくってある、こうやってね、蚊帳を。それを片づけて布団をこう片づけて、そしてその布団をきちっとそのお婆ちゃんは几帳面な方でしたから、それをきちっとこうたたんで、それも少し離れた所からこうみて真っ直ぐいだろうかと、云うてその整理整頓したその布団を遠いところから、少し離れた所から、こう見ておられるといったようなお夢であった。ああもう行き届いたお家だし、行き届いた信心が出けておられるまあ御霊様なんどの事に対してでもですね、行き届いたまあ、いうなら信心が出けておられるのですけれども、そのお婆ちゃんの性格というかね、ただ普通通りにきちっとしただけではすまん。こう外から眺めてから、それをきちっとしとるじゃろか。というような気質であるのに、嫁御がそそくりひとつしてない。だからくくってあるといったようなお夢を頂いて、その事がどういうことか分からんけれども、私は家庭の中でもです、別にそれが不平とか不足とかというところまでは行かないけれども、とにかく、不行き届きの考えていうかね、行き届かないところにです、お互いがいうなら、不快な思いをしなければならないような事やらが、私共別にこういうだけの事でもないけれども、というて家の嫁ばかりはとか、家のお婆ちゃんばかりはとか、もうわざわざ注意したり、いうところの不平不足いう所じゃないけれども、まあいつも心に家のおばあちゃんな、ろこそなかとか、家の嫁御はあそこばやめるとええというような所がこうあってもいけないということだと思いましたですね。
心がけなければならないということ。ね。家庭の中にそういう雰囲気が段々でけてまいりましてね、いわゆる信心でいう有り難い拝み合いが出けてくるようになる。そういう中に入って来る人も一緒に、そういうおかげを受けられる。今日は私は鏡を立てて、悪い顔を人に見せるなというだけではなくて、悪い顔を左遷で済む程しの家庭、又は私でありたいと思います。 どうぞ